今現在、「落ちこぼれ」シリーズのマクロ経済学を読んでいるところです。結局、「落ちこぼれ」シリーズは会社で読み、診断士の経済学のテキストを家で読むというスタイルで落ち着きました。で、マクロ経済学の最初の方を読んでいるんだけど、ちょっと気になることが。
マクロ経済学で「古典派」と「ケインズ派」が出てきます。古典派は「政府は
なるべく介入せずに、自由にやらせておくのが良い」とか「経済水準の大きさを決めるのは供給である(ただし需要と供給が一致しない時には価格がどこまでも上下すると言う仮定付き)」とか言ってます。
まあ、古典派の理論でうまくいかなくなり、「ケインズ派」という新しい考え方が生まれ、ケインズ派は「政府は積極的に介入すべき」とか「経済水準の大きさを決めるのは(有効)需要である」という感じで、古典派の逆のことを言ってます。結局、ケインズ派のほうが実際はしっくりくるようです。
ケインズ派のほうが「しっくりくる」ということを踏まえて今回ちょっと疑問に思ったのは、さきほど書いた古典派の「経済水準の大きさを決めるのは供給である(ただし需要と供給が一致しない時には価格がどこまでも上下すると言う仮定付き)」という部分です。この部分の考え方は否定されるものだろうかということです。
古典派の考え方としては「とりあえず供給しておいて、超過供給だったら価格を下げれば売れるようになるから問題なし」みたいなことでしょ。実際、世の中にはたくさんのモノが売られていて、在庫過多になれば売り手は在庫をなくすために価格を下げますね。同じことだと思うんです。ミクロ経済学で読んだ「ワルラス的調整過程」にも似てます。
ケインズ派は逆に「需要があるからこそモノが売れる」ということみたいだけど、企業がモノを世に出すときに完全な「有効需要」を把握しているようには思えないんだけど。予想した需要どおりに生産し売っていたら価格は常に一定なはずだし、在庫が残るなんてこともないですからね。「とりあえずモノを世に送り出して、後は価格を調整して売りきる」というのが現実で、これは古典派の考え方と同じですよね?
経済学のド素人が思ったのことなので、なにか意見があればお願いします!
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